浅田真央、ソチの涙、そして純真な笑顔:偉大なる真央
2014.02.24 Monday | category:i:野球、スポーツ
JUGEMテーマ:スポーツ
あれから、4年。
真央は、またも涙した。
しかし、それはもう無念の涙ではない、自己にとって、最悪のショートとベストのフリーとの、その両極にひきさかれた、自分の非自己(おさえきれない感情の表出)と自己とのおりあいへの涙であり、そのあとの自分自身へもどってのさわやかな笑顔であった。
はりさけんばかりの、悲しさの顔の歪みをじっとこらえきって、息をのみこんで、すっと真の純粋な笑顔にもどった。この一瞬のきりかえもすごい。
観ているこちらにも、どっと涙があふれでる。
演技の迫力に、うちふるえ、めがにじんではくるが、ぐいぐいとそのジャンプの成功に、ひきこまれていく、ステップのときには、もう、この子はほんとに、ただただひたすらすごいという感慨がわきだしてくる。ロシア放送で師タラソワは、フィギュアを観てはじめて泣いたとのべ、天使が舞っているといったが、ほんとにそうだ。おそらく、日本中の半分が、そして世界が、感動にふるえていたであろう。もう、オリンピックの順位がどうのではない、その枠をとびだして、ただその固有の舞いに、氷をけるちからにふるえていた。こんな演技は、他の選手がなしえない、およびえないものだ。タラソワは、スパシーバ、ありがとう、真央ほんとにありがとう、と感謝をのべ、そして師らしく、己に打ち勝った真央を讃えていた。
だが、現実へもどる、点数がつけられる、それはしかし150点をこえるものではなかった、既存の点数規準等をはみだしてしまう<もの>、その演技は愚かな要素平均化された規則規準点数ではつかみえないものだ。そして、だされた点数への賞賛と溜め息、メダルにはとどきえないのが、想定できるからだ。無難な美演技をまとめあげていく後続の、その水準からはるかにとびだしている真央の表現と技、迫真の美技は、世界のだれもが知っている。6種類の3回転、8回のジャンプ、だれひとりなしえない、それが採点不可能の閾に疎外されて、宙づりにされる。もう、そんなものどうでもいい。前日の、信じがたい失敗に、最悪の局面にたたされた、そのとき、もうメダルへの絶望が、バンクーバーからひきずっていた規制が、とんでしまった。できるにきまっていることが、なされえなかった、その呪縛を、「オリンピックには魔物がいる」と一般にいわれる、そんな魔物さえ絶望、絶句するようなできばえになってしまった。そのとき、こちらは、あれやこれやの推測の根拠さがしで、自分をなぐさめる言葉を自分へはきちらしながら、ああ、という嘆息にふけるしかない一日がすぎていく。
日本中のあちこちが、まず、ショートで泣いた。フリーを観ようと最終電車にのるべく走らせたタクシーのなかで、今朝の練習がうまくいっていないというニュースが流れたとき、運ちゃんは、昨日は泣きじゃくりましたよ、とつぶやいていた。「今日はほんとにどうなるんでしょうね」、とだれもが、最悪と最善の両極を予想しながら、定まらない情感にういている、24時間であった。
そのとき、真央は、宿舎で、自分の幼いときのビデオや演技をみながら、考えて考えて考えていた、とふりかえっている。おそれと不安と,戦っていた。
トリプルアクセルを封印してしまえば、かつて我慢してそうしたように、メダルは確実であろうが、金にはならない、しかしながらその金メダルというより、幼く11歳にして3Aを飛べてしまったことから、最善と最悪をかかえこんでしまった真央は、ただ一途に、挑戦へのあくなき戦いを自己へ課してきた。休養すればいいのに、それどころか基礎から見直すなどの逆向を課し、かつてないどん底状態へおちいりながら、飛躍へむけてひたすら錬磨してきた。「完璧」ということがほとんどありえない閾への挑戦だ。かつて、伊藤みどりがなした3Aの遺産をたやさないためにも、と誰もなし得ないことをしつづけてきた。ライバルのキムヨナも3Aに挑戦はしたがなしえないと、滑りをきりかえた、そのドキュメント映像は跳べないで転がるキムヨナの苦痛を描いていた。とてつもないことなのだ。
だが、もう20歳をこえたそこには、かつての楽しいから跳ぶという「快」はない、「苦」が先行する身体の成長が不可避にもたらす自然の重力との人為的な戦いになってしまった。そのなかにダイナミズムと美との相反を共存させる、不可能さへの挑みである。
それがもたらす乱調と完成との戦いが、ソチへそのままもちこまれた。
フリーで、真央はひるまなかった。
最悪の失敗をしても、翌日、最善の閾へ、真央はとびだした。
それを観た時、もう選手権やオリンピックなどの、測定・判定の評価枠に、真央はいない、ただ<一>の存在表出しかそこにないのが、見えてきた。審査員の規準になど、その演技はもはやはまらない。なにが、不足点だ、冗談ではない、分節化された規定測定の滑稽さだけが、非情に作用する、そんなものはもうどうでもいいという閾へ、真央は舞い降りたのだ。バンクーバーでは、まだ点数の公平・不公平の枠内にあったが、もうソチでは、無関係の閾へとびだした。グループ別の規制がかかってしまうなど、審査員が演技自体をもう観れない、そういう閾へ真央は舞ったのだ。
一方で、日本スポーツ界に巣くう下品な下卑た政治崩れの元首相から、名無しの自分が自分であることが出来ない事が自分だと転倒している2チャンネルのゴミ糞から、亡国の言動が吐き気を吹き出そうと(必然の負の作用ではない、ただの汚物・腐敗物、卓越さからのおちこぼれである)、多くのひとたちが、素直に感動する世界に、真央は雄々しく美しくラフマニノフとともに舞った。美は、揺れる自由の閾を超克する!
高橋も羽生も、泣きながら会場で応援していた。世界のフィギャアのプロたちも感動していた。
真央は言う、ジャンプひとつひとつに、自分が世話になった人たちへの感謝をこめて跳んだと、これは母に、これは父に、これは姉の舞に、これは佐藤コーチに・・・・また、泣いてしまうではないか、繰り返される映像を見るたびに、その深さがじんじんと響いてくる。ソチで、至上の美しき感動として、それは永遠に残っていこう。
バンクーバーのあの悔し涙は、ソチで「うれし涙」に変わったと、真央は言う、自分がなそうとしていた理想を実現しえたからだ、と。ひとえに己になっとくいける閾へたどりついたのだ。
「偉大なる真央」、それは歴史上にのこる美の遺産になろう。
プルシェンコの4回転は、男子フィギュアの歴史を変えたが、真央の超絶は、歴史を変えてはいくまい、ただ到達不可能な閾へ孤高にそびえ立つ。
わたしのごとき老人さえ、若き真央の偉大さには、こころから敬意をおぼえ、賞賛する。天使は神でも人でもない、その間にあって、神と人を祝福する。多くの人たちが、真央に感謝のこころをのべ、勇気をもらっている、と讃えるのだ。わたしは、ただただ、真央の偉大さに敬服する。このような究極の存在が、現代日本に出現したことを素直に驚く。驚きは、自覚を覚醒させる。小さな子どもも、男女も、老人も。
だれを、なにを「偉大」とみなすかは、その人の社会的な布置を表象する。
真央を偉大とすることは、純粋さ、純真さ、そして不可能さへ挑戦する感動、を讃える布置だ。
真央は、挑戦し,戦いつづけた。その戦いは、自分自身の限界への戦いであり、他者との比較の戦いの水準をこえてしまった。
これから、真央の場所は、世界選手権をつきぬけて、新たな場所へとうつるのだろうが、もう採点という愚かな規準規範世界におさまらない、それは、天使の羽をつけて自在に愉しく舞う、享楽の閾へとはいっていくであろう。
なによりも、真央自身のすがすがしい顔、笑顔、もうそれでいい。
閉会式で無邪気にはしゃぐ真央にもどった。それでいいのだ。
だが姉の舞は言う、帰ってきたなら、もう泣いていいんだよ、我慢してこらえなくていいんだよと、真央は姉の胸のなかで、ひとしれずなきじゃくるだろう、ソチでたえていたものをはきだして・・・・そして、わたしたちの前では、あの純真な真央スマイルをみせてくれる。。。。
偉大なる真央、それは永遠に語り継がれていこう。
(内戦状態になっているウクライナへ、黙祷をささげた金メダルのウクライナ選手たち、また競技を辞退して帰国した選手、若き偉大なるgoodな存在に、わたしは敬意をおぼえる、それは政治表象ではない、人としての尊厳ある行為だ、非難、禁止すべきことではない。)