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被災地のただ中に立つ:津波の「場所」被災であって、地震災害一般ではない:石巻から、気仙沼、陸前高田、そして大船渡へ(3)

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[アーカイブスとして再公開しておきます:被災地に立つ、全3回、2011.6]
陸前高田Rikuzen-takada
みわたすかぎりの広大な地域が、完全に崩壊している。
瓦礫は、区分されて、ビルの高さまで積み上げられている。
救援のクルマやダンプが、ほこりをあげて、何台もとおりすぎる。あの、取り残され孤立した病院が、茫然と形だけのこして建っている。
もう、鉄骨しか残っていない、壁は完全崩壊している。
集積所として、クルマの瓦礫が集められている。
瓦礫は、ビルの高さにまでなっている。
少し道が高くなったところからみまわして、一面、崩壊の真っただ中に立った。すさまじい光景としかいいようがない、地獄とかなんとかというようなものではない。
このぐちゃぐちゃなまだ、道端の取り残されたクルマや瓦礫な崩壊は、超現実などというものでもない。「瓦礫」という言表で処理されてしまっている、厖大な「くずれ去った物事」の総体。四方をみわたす、360度、なにもない、街総体の完全崩壊。瓦礫整備のための道だけが作られてはいる。
わたしはひとり、ぽつぜんと、そこに立つ。誰もいない、何も無い、ただずべてが崩れ去った平野。
ここは、まっ平らで、近くに山も迫っていないせいか、匂いはしなかったが、微塵がまっている。
そして、色合いは、いままでみた崩壊した村と違って、どんよりと灰色にかすんでいた。
水の引きようが無く、たまり水になっている。
津波到達の先端部分へ近づいた。
津波の先端、高台の家は残る。
はずれにくると、海が近い、防波堤は瓦解している。
先端のすぐ先で、子どもたちが遊んでいた。
共同トイレが無数に置いてある。
移動のさなか、ラジオで、内閣不信任案の論議をしている、ばかばかしい、虚しい。誰も、この現場に立っていない。ただ訪問して、機械的に手をあわせただけだ、立っていない、歩いて居ない、壊滅が見えていない、災害一般になっているにすぎない。
いくつか観れば、新たな津波対策のみの特別法案を、早急につくり、どうするかを場所ごとに即決できる。ひとつの場所を1日でできる。三陸のそれぞれの場所を、直接に訪れ、その場できめていけば、10日〜15日もあれば、すべて決められる。ほんとに何もしていない菅政権、永田町で、被災対策一般を、いじくっているにすぎない。無能と云うより、まちがいだらけだ、復興構想会議など、そのあとですればいい。
だがただただ、茫然と、眺めている、なにもできない自分。
しかし、場所津波崩壊であって、それを社会一般化などしえないという、自分の見解にまちがいのないことだけを、どうつたえていくか、その実感の確信はもてた。場所にのみ限定された災害である、社会に拡張される崩壊はしていない。
今回の最後、大船渡へ向う、そのわたしの観方は、そこで確信になった。
大船渡 Ofunato
再び山をこえ、大船渡へはいる、なにも崩壊していない光景が目に入る。
街を、下っていくと、港の低い一帯のみがやられている。
すぐ、下まできているが、家々は、1部をのぞき、ほとんど残っている。
高台は、まったく無事である。
陸前高田のすさまじい崩壊は、どう見ても、産業的な過信と無知からまちづくりをしてきた結果の崩壊であろう。死亡1506人、行方不明、あわせて約2176人である。
大船渡は、小さな漁港、すぐ斜面高台となっているため、街がすべて崩壊するとはなっていない。317人死亡、行方不明約150人、あわせて約476人である。
気仙沼は、956人死亡、約540人行方不明。
住宅崩壊戸数は、大船渡の方が多いが、実際に見て、そのスケールは、まったくちがう、一般測定しているだけである数字では、ここはわからない。
道路わきの、寿司弁当屋で、寿司を買って、はらごしらえをできた。街は動いている。
外から、いくつかの被災地現場を、現象光景のみをみてきただけであるが、完全に、はっきりと見えてきたことがある。
崩壊したのは、まったく海岸沿いでしかない、しかも個々の入り江になった場所である、南北の長距離の一般ではないし、内陸部でもない。地震被害ではない、異常なる1000年に一度の「場所津波被害」である。はっきり限定できる。
しかも、個々の津波被害状況は、ちがう。これを、測定可能な数などで、被災地救援などしているから、まちがう。
北上川沿い、気仙沼、陸前高田、大船渡、それぞれ場所の状況でちがっている。そこに、そく具体対策は方針として個々べつべつにだしうるし、だしていかねばならない。
石巻の都市は、崩壊していない、あちこちの入り江や、港が崩壊した、その死亡総体の3025人、行方不明約2770人という恐ろしい数だが、場所ごとで識別して対策していかねば、ただただ一般論になり、なにもなされていかないずるずるの日々になる。
地震で、内陸部の工場の機械や設備が壊れた、それは津波被害とは別事である。
津波被害者たちは、なにもかもなくした。それにたいして、やれ証明書だ、ハンコだとばかなことをしている役所。特別法で、場所ごとの差別化した対策をとるべきだし、とりうる規模にある。
キューバのカストロは、かつて革命直後、ヘリコプターで農村をまわり、その場で農民たちの意見要請を聞き、即、その場で国家法令を作り決めて行った、できることである。
永田町の机の上で、一般論をいじくっているから、東日本「社会総体」が崩壊したかのように、うろたえている。
わたし自身、TV放映やインターネットなどで、もっと総体が崩壊していると思い込んでいた、まったくちがう、個々で、即対応対策しうる規模だ。それが、いくつかある、無数にあるのではない。
また、原発避難は、これとまったく異なる局面と場所にある。
HIRAIZUMI: peaceful place now in TOhoku
翌日、平泉へいき、源義経最後の地、高館へのぼり、北上川を見下ろした。
美しい、何も崩壊などしていない。芭蕉が、「夏草やつわものどもが夢の跡」と歌った場所だ。
中尊寺では、修学旅行の生徒たちが、賑わっていた。
平和である、平穏である。
中南米のゲリラ地帯もそうであるのだが、いつも戦闘があるのではない、圧倒的に平穏な生産と暮らしの日々があるのだ。
その平穏な日々を、政府は、被災者たちに与えてあげることができないで、戦時状態のまま放置している。その間違いである。
内陸部は、崩れていない、厖大な避難の土地も場所もある、具体をみていないから、いまだに避難所も満足にできない、しかも窮屈なところに押し込めている。
わたしたちは、いま、さまざまなひとたちの協力をえながら、ハウストレーナーを設置していくとりくみをしながら、一般復興ではなく、場所環境復興の具体へと歩みができるように、動きをはじめている。
これは、移動ハウスである。住宅法にかかわることなく、どこにでもおける。USAでは、災害避難住宅として、政府が所有して使っている。
快適な場所を供する努力はすべきであろう。被災者に、貧困をおしつけるべきではない。
「しない」ということとして、またもやすでに仮設住宅援助金にはあてはまらないという、住民無視の規則主義というお役所仕事につきあたっているが、仮設住宅企業にヤクザからみで、ひとの災難につけこんだ商売がなされているだけだ。仮設住宅と云う、震災一般の規格規則があるだけなのだ。
わたしたちは、義援金集めを別建てにしてつのりながら、「場所復興ホスピタリティハウス拠点」として受け入れ先があれば設置していこうとしている。明日にでも、作れる体制になっている。
社会一般の規準から、さらに地震災害一般の規則でもって、場所避難者たちになにもできないでいる政府の仕方は、なにからなにまでまちがっている。
内閣不信任案、ひとつとうせない、だらしない分派できない党派性なき民主党(政党で党派性を固有に持てないなど党失格である、党派闘争あってこそ政党は健全になる)、菅首相のこざかしいマヌーバ政治嘘に、またからみとられているなさけない政治なき政治だ。菅首相は、いま自分が辞めたなら、戦犯扱いを受けるのを知っているゆえ、必死にそうならぬものをつくるまで辞めない、それを自分で区切りとしている、鳩山たちのいう区切りなど関係ない。小澤に媚び、鳩山に媚び、自ら首相になる手段をえらばず、なったとたん、小澤・鳩山などを切るソフト・スターリニズム化をあらわにし(エセ左翼の典型的な仕方)、閉鎖主義で権力温存できると組織運営を勘違いした、そんなことしかしてこなかったため、突如の震災の出来事になにもできない、もう仲間から見はなされている、東條をだれもかばわなかったように、いずれ始末される、それを怖れて、自分のためのこととしての社会する事の正当化を作りだそうとあがいている。だが、それは社会すればするほど社会それ自体によって処罰される、それが社会の本質だ。他方、小澤も、もう政治さえできない、田中角栄政治のうわっつら後継者は、自分の岩手さえ自分でどうすることもできないで、中途半端な政治をしている次元へなり下がっている。
政局いじりをしている場合ではないという批判も、まとはずれ、政局いじりさえできない、不能議員たちである。真の意志をもった議員は、いまじっと耐え、機をまってはいるが、腐敗した政治環境において場がそう簡単にはうみだせない、不能議員どもが自己保存にやっきになっているからだ。理念も経験もない、若手が勘違いした社会正義面で、社会する規則保守の横暴な愚行を同調的にすすめている。
マスコミも、被災地を、「社会の眼」でしかみていないで、個々人をそこから分離してあつかっているにすぎない。
場所に、個々人は生きくらしているのだ、そこを同時に読み取っていかねば、真の報道もなしえない。
この報告は、さらに手をくわえて、国会議員へ渡されるものになるが、場所設計と社会設計のちがいが、いつになったならわかるのか、困ったものだが、あきらめるわけにはいくまい。
この、言語化しえない、草木を一本も残らずさらった大惨事の跡に立っての感覚の、最後に。いずこでも、海との波打ち際にたつことはできなかった。津波は、陸を崩壊させただけではない、海を遮断した。たくさんの、救援隊のクルマがほこりだらけ、どろだらけになって走っていた。しかも、だれひとり、わたしの動きをさえぎることはなかった、場所を取り戻そうとするその懸命さが、遠くからもつたわってきた、ただ黙って頭をさげて通過させていただいた。心から、敬意を。
そして、静かに、海へ向って、合掌・・・・・・。
(*1,2,3と順番にみてください。1000枚の写真記録の一部です。)
| 山本哲士 | 20:30 | - | trackbacks(1) | pookmark |
被災地のただ中に立つ:津波の「場所」被災であって、地震災害一般ではない:石巻から、気仙沼、陸前高田、そして大船渡へ(2)

 JUGEMテーマ:ニュースJUGEMテーマ:学問・学校

[アーカイブスとして再公開しておきます:被災地に立つ、全3回、2011.6]
気仙沼へ Kesennuma
一関ICから、気仙沼へ向う。のんびりとした東北の田園光景から、近づくにつれ、ほこりまみれになった救援隊のクルマに多々であう。だんだんと昨日の緊張が増す。
気仙沼市の街中にはいった、なにも壊れていない。えっとおどろく、郵便局も市役所も、町は通常のように動いている、人もクルマも普通に走っている。昨日の雄勝と、まったく違うではないか。
なんともないではないか、と街中をいき、右へ曲がった瞬間に、驚く光景がとびこんできた。一階が完全崩壊している、そして異様な魚の腐ったにおいが、まんえんする。
町の港側が崩壊している。
ぐちゃぐちゃになった道を、めぐりながら、邪魔にならぬようにと、ときおりクルマをとめ、写真をとる。マスクなしでは、いられない匂いだ。一階部分が、だるま落としのように、流されてしまった建物、電線コード
がからまった街灯、倒れた木の向こう側は、さほど壊れていない港。
向こうの山の斜面の家々は、無事である。
港には、巨大な船が2隻、火事で燃えつきたように崩れておかれていた。港の海には近づけない。
港の、1画が、崩壊しているだけだ、斜面の家々は残り、道を一本入れば、そこは無事である。
また、1階がやられているだけで、2階は残っているも、それは住めない。家の中に、車が入り込んでしまっている。
津波と云うのは、こういうものなのかと、すこし感じられた。つまり、1部崩壊である。
街中にうちあげられた舟、それを移動する作業がなされていた。
ここは、港の低い部分が、完全崩壊している。あとは、無事に残っている。
背景の斜面高台にある家は、崩れていない。
津波とは、津波におそわれた区域の観が、完全崩壊するが、津波がとどかない区域は残存する。当たり前だが、それがはっきりと境界区分される。地震被害とはあきらかに異なる、ここが、報道などでは一般化されてしまっている。全域が崩壊してゐるように見せられてきた。
Between Kesennuma & Rikuzen-takada
陸前高田へぬけられるのだろうかと、走らせたが、行けた。まちはずれのここは、無事である。45号線を、北上していく。
だが、この道のさき、山へのぼっていくはずれには、津波が来ていた。道路は、もう整備されているため、通過できた。
気仙沼から陸前高田への途中
山をのぼり、降りていこうとする、その道路標識に、津波浸水想定区域被の看板が立っている。
「ここより」と「ここまで」、と。なのに、かくも多大な犠牲者がでた。災害に想定外などないのに、どういうことだろう。大きな問題をのこしている。
山を、下った瞬間に、崩壊した村が、横たわる。唐桑地域だ。
斜面の家は、残っているが、下は完全崩壊だ。
この防波堤を乗り越えて、津波はおそった、防波堤がむなしい。
とおりすぎて高台からみる。
左が入り江、ここを通過して、先の谷間へと津波は流れ込んでいる。昨日の雄勝より広域である。
瓦礫がとりのぞかれつつある。
さらに、進む。途中、子どもたちを乗せたバスが子どもたちを降ろしていた、その姿は明るい、高台の残った村だ。前方をいくバスに子どもたちがのっている。
しかし、その足元の村は崩れている、また山をおりると崩壊した光景が、とびこんでくる。長部漁港区域だ。広田湾の中へと入ってきた。
海側には、クルマの集積場となっている。
斜面高台にある先祖の墓が、崩壊した自分の村を見下ろしている。
寺への階段が、途中まで切れている。
はずれに、大漁旗と黄色いハンカチが小さくなびいていた。いつか、帰ってくるという希望のしるしなのだろう。
すごい匂いだ。汚染水をとりのぞくバキュームカーが、ぽつんと作業していた。
その近くに、まだ放置されたままの破壊したクルマ。
入り江ごとに、こうした光景がひろがる。
だが、それは、まだ序の口であった。
そして、陸前高田の街中にはいる。
すさまじい光景がとびこんでくる。
Rikuzen-takada
いや、もう言葉を失う、一面、瓦礫だ、厖大な域が、まっ平らなため、まったく何も無い。全てが、完全崩壊している。
(*1,2,3と3部立てです。)
| 山本哲士 | 17:01 | - | trackbacks(0) | pookmark |
被災地のただ中に立つ:津波の「場所」被災であって、地震災害一般ではない:石巻から、気仙沼、陸前高田、そして大船渡へ(1)

 JUGEMテーマ:ニュースJUGEMテーマ:学問・学校

[アーカイブスとして再公開しておきます:被災地に立つ、全3回、2011.6]
この3日間、東北の被災地へ行ってきた。
東北自動車道を北上する。
福島あたりから、高速道路がときおり凸凹に歪んでいるものの復旧はすすんでいる。ビニールシートを屋根にかけた家が、点々とするが、想像以上の地震被害があるように外見からはみえない。
対向車線に、災害救援隊のクルマの列が赤ランプをまわして、何台もとおりすぎる。自衛隊、消防隊、機動隊、民間など、救援隊が動いている。
自分のこの目でみないかぎりなにもわからないと、被災地へ向った。以前からいくつもりでいたが、もう邪魔にはなるまいと。ただ、観る、それ以外なにもしない、内省の目で観る、現場に立ち感じる、それだけだ。目的地は、主に気仙沼から陸前高田、大船渡にしぼった。何の準備もない、行政を紹介されると言われたが、断った、自分でいきあたりばったりに感じる、だれにもあわない、自分が自分へどうなるのか、いつものわたしの仕方だ。関係者に会うと観線が別の方へといってしまう、最初はそうしたくない。ひとりで、ただそこに立ってみる。
石巻を通過して Ishinomaki
仙台南ICで、仙台東部道路へはいり、石巻のほうへむかってみた。
ブルーシートの数が、少しおおくなるだけで、崩壊しているとはいいがたい。だが、海へちかづくにつれ、別の光景が少しづつはいってくる。高速を左へ曲がり、海沿いへはいると、なぎたおされた木くずが散乱する。
【道の東側】
浸水が激しいとおもわれる仙台空港の方へはいかず、海岸に沿った北上のルートをとる。
東側は、完全に進水したあとのがれきが点々と残っている光景が延々と続く、これをもって、被災地がずっと続いていると一般化し拡張している、だがその西側は、さほどではない。家々が残って、人は住んでいる。この視座をもたないということから、誤りが来ると云うことが、後に分かってくる。
【道の西側】
右と左のまったくちがう光景の、異様な雰囲気に、緊張が走るが、考えずにただただ走る。
被災は南北にずっと広がっているが、東西には、高速道路で区切られている、ここは、重要なポイントである。
石巻の街をとおりすぎながら、都市的中心街自体は崩壊などしていないことに逆におどろきながら、北の北上川沿いを海の方へといってみることにした。川の南側をいく。
北上川へ Kitagami River
なんとも大きな美しい川だ、そこに、崩れた木々がうかび、ところどころに、小さな船がひっくりかえってはいる。
しばらくいくと、眼前に、ぽつんと取り残された、完全崩壊の家々が、出現する。堤防をこえて、はいりこんできたのがわかる。進水した水は、そのままよどんでいる。電信柱は、傾いたまま残っている。
ぺしゃんこにつぶれた家もころがる。
堤防の復旧が急ピッチに進められているのが、その動きで分かる。
鉄板がしきつめられた緊急道路を、ほこりをあげて、救援隊がひきあげてくる。よそ者のクルマは、わたしの1台だけだ、邪魔にならぬようにと気配りながら走る。
橋は通行止めのため、向こう岸へいけず、女川の方へクルマを走らせてみる事にした。釜谷トンネルをくぐって、向こう側へでたとたん、とんでもない光景がとびこんでくる。
雄勝 Ogatsu
これが、町が壊滅するという事か、はじめてみる光景、それはただ瓦礫だけの平、ビルは外形だけの、まったくなにもない姿だ。崩れたクルマが横たわる。
街の名は、あとでしらべて、雄勝という、小さな入り江になった両はしがせまい、漁港である。ここへ、10mを越す波が襲いかかったと想像する、身体がふるえる。海べりの方へは、がれきの塊で近づけない、女川の方へは抜けられないため、もと来た道を帰る。山際へはりついている学校も、外形のみのこし、崩壊している。
このビルの上まできたのだろう、外形だけのこっていた。
もう、夕方、不気味な静けさのなか、鳥の声だけが響く。誰もいない。救援隊のくるまが、1台通り過ぎていった。
北上川沿いで残っている町
北上川沿いへもどる、堤防下の、なんともない街がそのまま残っている。この左上は堤防なのに。この町のすぐ先が崩壊している。
東北道の古川の方へむけていったが、なんの崩壊もない、普通の町々だ。
つまり、崩壊したのは、海べりだけ、津波が来ていない処は壊れていない。ほんの一角だ。
あと、広大な土地はそのままのこっている、なのに仮設住宅が詰め込まれたように一画へ押し込まれてたっていた。
おかしい、ともう感じ始める。
1部の完全崩壊区域とまったく崩壊していない広大な地域、その差が歴然とある。しかも、崩壊した雄勝など、まったくなにもない全滅、そこから数キロ内陸にある別の町々は、なんともない、すくなくとも外見は。人が住んでいる。畑や空き地は膨大にある、なぜ、避難者たちの場が無いのか、わからない。
まだ、結論をだすのははやい、明日、気仙沼から陸前高田へ向ってから、感じなおそう。
宿泊は、鳴子温泉まで足をのばした。地震被害は、ほとんどない、ゆれもさほどではなかったという。
もう、ここは、天国の場所だ。しかし、被災者が20名ほどこの旅館に避難しているという、出合わない、遠慮してしずかにしているのだろう、いかに温泉天国の場所であれ、彼らにとって安楽の地ではない。
ともかく、落差の強烈さだ。完全崩壊は、津波であって、地震ではない、地震災害対策と同じ尺度で被災者に対応している、政府のまちがいは歴然としている。
(*1,2,3と続きます。)
| 山本哲士 | 13:03 | - | trackbacks(0) | pookmark |

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TETSUJI YAMAMOTO

山本哲士【やまもと・てつじ】
文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター
政治社会学。ホスピタリティ環境学、企業環境学。
ホスピタリティビジネス設計、場所環境設計。
スイス国際学術財団F・EHESC ジェネラル・ディレクター。


Pedagogy Ph.D 1981-2008:Shinshu University, Professor of political sociology / environmental cultural sciences/hospitality environment
1980 Tokyo Metropolitan University、post-graduate of human sciences / doctoral course
1975 Studies abroad to Mexico CIDOC(Centro Intercultural de Documentacion)
1986 Director of "IICHIKO"quarterly magazine
1990 General Director of EHESC
2000 General Director of F・EHESC(Geneve)

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