原発批判の替え歌:日本も捨てたものではない知性=感性がある
2014.12.08 Monday | category:l:日常
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YOU TUBEをいじくっていたなら、原発批判のあざやかな替え歌があるのを知った。いまごろ、といわれそうだが、まったく知らなかった。
まずは、「フランシーヌの場合」が、「プルトニュームの場合」へ、
かなしく、無気味でさえある替え歌だが、ユーモアがひかる。
https://www.youtube.com/watch?v=qo_pxVzZXCE
そこに、景気のいい変え歌、「自動車ショー歌」に代わる「原発ショー歌」だ、
https://www.youtube.com/watch?v=nOH6BBlbqv0
はるかに腹をかかえてわらってしまうのが、キャンディーズ「春一番」の「もうすぐ春ですね」の替え歌「もうすぐアウトですね」
https://www.youtube.com/watch?v=DohLYyI1WF0
これには、「もうすぐはげですね」などいろいろあるようだが、これが傑作であろう。
さらに加えて都はるみの「大阪しぐれ」の替え歌「原発しぐれ」
https://www.youtube.com/watch?v=jviq_6Oiczo
だんだんせつなくなってくる。
さらに、いやみの閾にはいったアイロニーがつづく、かつての反戦歌「自衛隊にはいろう」の替え歌「東電に入ろう」
https://www.youtube.com/watch?v=_vl73V9eD6A
徹底したイロニーは、やはり忌野清志郎だ、福岡の電気ホールでやったらしい「原発音頭」
https://www.youtube.com/watch?v=K2baSCycSWk
ここまで来ると、ものごとの一義性にしか自覚の無い真面目な人は、清志郎は「原発反対だったのでは?」となる。イロニーの意味がわからない存在があるようだ。「原発賛成!」「九電万歳!」「原発推進!」と、すごいシンプルなイロニーであるが、主語制概念空間に覆われた者は、「賛成」と言っているのだから原発支持なのだろう、と解するほかなくなるようだ。終わりに「おまえらよくやるよな、ほんとに」という清志郎の自戒をこめたイロニーには脱帽。
サマータイム・ブルースやラヴミー・テンダーなど反原子力の歌は、発売停止にまでなったが。
原子力反対が、電気に乗って流れる、皮肉だとか、相反現象にたいする嫌悪が、「真面目な清潔主義」のファシズム感覚になっているのだが、これこそロックだ、というのもなじめない。
糞真面目な顔をして、目くじらたてて、正義ぶるものも、ファシズム的全体主義である。
イロニーの笑いと悲劇、現実のやるせないせつなさへ、日本も知性をもっていたのを知って、すてたものではないと、少し見直した。
だが、歌では、現象本質のをみごとに表象してはいるが、幻想技術はとけない。ずらしはずらしでしかない、2、3度聴いてあきられていく。しかし、こういう感性は、世界の民衆がもっている力だ。「笑いとばす」大事さである。
まずは、「フランシーヌの場合」が、「プルトニュームの場合」へ、
かなしく、無気味でさえある替え歌だが、ユーモアがひかる。
https://www.youtube.com/watch?v=qo_pxVzZXCE
そこに、景気のいい変え歌、「自動車ショー歌」に代わる「原発ショー歌」だ、
https://www.youtube.com/watch?v=nOH6BBlbqv0
はるかに腹をかかえてわらってしまうのが、キャンディーズ「春一番」の「もうすぐ春ですね」の替え歌「もうすぐアウトですね」
https://www.youtube.com/watch?v=DohLYyI1WF0
これには、「もうすぐはげですね」などいろいろあるようだが、これが傑作であろう。
さらに加えて都はるみの「大阪しぐれ」の替え歌「原発しぐれ」
https://www.youtube.com/watch?v=jviq_6Oiczo
だんだんせつなくなってくる。
さらに、いやみの閾にはいったアイロニーがつづく、かつての反戦歌「自衛隊にはいろう」の替え歌「東電に入ろう」
https://www.youtube.com/watch?v=_vl73V9eD6A
徹底したイロニーは、やはり忌野清志郎だ、福岡の電気ホールでやったらしい「原発音頭」
https://www.youtube.com/watch?v=K2baSCycSWk
ここまで来ると、ものごとの一義性にしか自覚の無い真面目な人は、清志郎は「原発反対だったのでは?」となる。イロニーの意味がわからない存在があるようだ。「原発賛成!」「九電万歳!」「原発推進!」と、すごいシンプルなイロニーであるが、主語制概念空間に覆われた者は、「賛成」と言っているのだから原発支持なのだろう、と解するほかなくなるようだ。終わりに「おまえらよくやるよな、ほんとに」という清志郎の自戒をこめたイロニーには脱帽。
サマータイム・ブルースやラヴミー・テンダーなど反原子力の歌は、発売停止にまでなったが。
原子力反対が、電気に乗って流れる、皮肉だとか、相反現象にたいする嫌悪が、「真面目な清潔主義」のファシズム感覚になっているのだが、これこそロックだ、というのもなじめない。
糞真面目な顔をして、目くじらたてて、正義ぶるものも、ファシズム的全体主義である。
イロニーの笑いと悲劇、現実のやるせないせつなさへ、日本も知性をもっていたのを知って、すてたものではないと、少し見直した。
だが、歌では、現象本質のをみごとに表象してはいるが、幻想技術はとけない。ずらしはずらしでしかない、2、3度聴いてあきられていく。しかし、こういう感性は、世界の民衆がもっている力だ。「笑いとばす」大事さである。