国家資本と場所資本:国家論3部作を完成させて
2017.03.01 Wednesday | category:n:場所論
JUGEMテーマ:学問・学校
国家資本が「主語制様式」を集中化・統一化・普遍化している。 それは、言語市場の統一をはかり(学校文法で主語があると教える)、国家が生産者であるかのように統治制を配備した。 国家資本化されない、排除されたのが場所・資本の「述語制様式」である。 伝統工芸文化技術、場所キモノの染織技術など、非分離の述語技術が衰退していく根拠である。 しかし、日本の本来の地盤は「述語制」にある、日本語に主語は無い。 他方、日本の国家資本の高度さに、政党や政治家、そして官僚も企業も、政治資本、経済資本が至り得ていない。 国家資本の高度さと場所資本の蓄積とが、相反共存するシステムの構築がこれから要される。 国家に実体がない、国家は幻想であり、規整化理念であり、統治制が国家配備されるだけである。 国家権力なるものは存在しない、国家間の均衡である軍備、国内統治の税制があるだけだ。 マルクス主義的国家観とヴェーバー的支配論が、官僚や企業や大卒人間に浸透してしまっている。 それを根源から転移し、本来の国家のあり方を鮮明にし、場所資本の政治経済の可能条件を開いた、国家論3部作である。
本は、ジュンク堂、丸善におかれています。 フーコー国家論(4900円)、ブルデュー国家資本論(4500円、3月15日発売)の直接購入はehescbook.comへ。ともに、600頁を越える大著です。
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