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「感動」とはなにか?

 JUGEMテーマ:学問・学校

感動とはいったいなんなのか。
当然ながらひとによって、それはちがうが、ある閾がつきやぶられたときに、感動は起きる。
他方、規範規則に従属している枠内の状態では、絶対的に感動は起きない。
このふたつから、みていくと、感動は「挑戦」と重ね合っているのがうきあがる。
先日TVで、金栗四三のはなしを知った。マラソン選手だ、マラソンの高地トレーニングを提唱し、いまの箱根駅伝を創始したひとりであるらしい。
彼は、オリンピックのストックホルム大会で金メダルを期待されていたが、40度の気候のなかで日射病にかかり倒れ、農家に救われ翌日目をさました。
それから、54年後、彼のところに、棄権が表明されていない、競技をなしとげないかとストックホルムから要請され、完走する。その結果のマラソン記録は、第5回 ストックホルム大会(1912年(明治45年)) - 一時行方不明 
から、54年8か月6日5時間32分20秒3と正規に記録された。永遠に破られない最低記録であろうが、こういうはからいを、ひとつの感動といえる。ゴールし切った、金栗の笑顔は満ちていた。ルールを破っていない、ルール下にある処置だが、既存枠をはずさないとなされえないことだ。
柔道の井上康生が、不振からたちなおりオリンピックで金メダルをとった、亡き母の遺影をもって表彰セレモニーにでようとしたなら、表彰台へは何ももっていってはいけない規則だという。そのとき、関係スタッフが、服の下に隠してもっていけば、わたしたちは知らなかったということにする、とアドバイス。井上康生はジャンバーの下にそれを入れ、表彰台にたって、とりだし高々と遺影をかかげ、感動をよんだ。
こういうことは、付帯するエピソードではない、スポーツのある本質からしか表出しえない出来事である。
去年、楽天の田中投手が、優勝決定のマウンドにあがって、優勝を決めた。星野の偉大な采配のひとつであるが、日本シリーズを観るすべてのひとに、楽天の優勝は感動をあたえた。
かれらは、究極の挑戦をなしてきた、そのうえに表出していることだ。
(つづく)
| 山本哲士 | 22:12 | - | trackbacks(0) | pookmark |
原発避避難区域20km圏内の中へ:放射能除染と場所文化からの復興
 JUGEMテーマ:学問・学校

[アーカイブスとして、大事なものを資料として再公開しておきます。]:原発避難区域

2月24日、福島駅にてスタッフと集合、放射能1.1マイクロシーベルト。高い。
レンタカーを借りて、南相馬市へと向かう、約1時間半。交通機関がない、仙台からバスが走っているだけ、交通は寸断されたままだ。
福島駅をでると、放射能は下がっていく、ほとんど0.1〜0.4ぐらいだ。雪が降って、封じられているせいなのか、低い。飯館を通っても、0.5ぐらいであった。
南相馬市に到着、市役所から「応急対策車輛通行許可書」を発行してもらう、世界会議を開くことでの準備を協働してすすめているため、信頼はされている、何の問題もない。南相馬市の原町で、0.24であった。30km域内である。

1.検問前にて防護服装着
いよいよ検問の前にきた。20km域だ。

検問の前に、セブンイレブンなどがオープンしている、その駐車場にて、防護服を装着する。
20kmというただ物理的に地図の上でコンパスで引かれた、無意味な線を象徴するように、コンビニが開かれており、その100m先からは立ち入り禁止である。放射能は、まったく低い、東京とかわりない。もちろん検問の警察官たちは、防護服などはきていない、必要ない。

この防護服、1500円。これで、被曝を回避などしうるわけがない。ただ、ほこりのように舞う放射能の付着を回避するだけだ。マスクも、気休めのようにしか見えない。靴の上には、足形になっているビニール袋をかぶせるだけだ。すべて、使い捨てになる。目には、ゴーグルをはめる。
誰が誰だか、わからなくなるので、胸元にマジックで名前を書く。

2.避難区域へ突入、野馬沢へ。
いざ、突入である。気が引き締まる。もちろん、被爆などは覚悟のうえだ、何が起こるかも分からない。

ここから南下、、浪江町、双葉町をへて、原発のところまで向かう。
広大な平地、津波はここまできた。検問を通り過ぎた途端、すべてはあの3.11のまま、異常である。放射能の値も低いのに、一歩もはいれない、まったくおかしい線引きだ。
野馬沢の海岸へまず、行く。舟はうちあげられたまま、家々は崩壊したままだ。


海岸もそのまま。野馬追では、ここで馬を清めて、小高城へと集結する。

3.小高神社へ
野馬追の馬たちが集結するのが、小高神社。14世紀に作られた、妙見信仰の神社である。灯篭は崩れ、鳥居も崩壊している。

だが、社殿は、確固として立っていた。

昭和12年の千年祭の奉納額、勇壮な馬の絵が飾られている。
入口の鳥居にはひびが入り、いまにも崩れそうであった。
南相馬の復興は、この神社の復旧なくして始まらない。場所の歴史文化の拠点である。
周囲は、当然、人ひとりいない、信号機の点滅だけが不気味だ。

4.村上城からきよはし城跡へ
わたしたちの視察の目的のひとつは、相馬氏の場所文化の歴史から復興を考えるというところにある。
南北朝での選択、関ヶ原の戦いでの選択、伊達と上杉とに挟まれて、相馬はきつい選択を、したたかに生き延びてきた、そして幕末の選択。この3つの危機、選択において、野馬追が場所文化の核に維持・存続されてきた。そして、いま第4の選択の時に在る。
除染は、こうした場所文化から切り離されてなされえない。

街中は、まだこうした被害のままだ。放射能は、0.2ぐらでしかない。

浸水したところに、白鳥たちが泳いでいた。

だが、その周囲は崩壊したままだ。

村上城は、丘の上にある、しかし道が崩壊していて、いけなかった。

5.浪江町から請戸港へ
街中では、全壊した家屋が、あちこちに在る。

請戸港は、太平洋岸の貴重な港である。防波堤は破壊され、漁港は完全崩壊している。大きな波がうちよせていた。

荒涼とした、平地をみていると、東北とはちがって、かなりの内陸にまで浸水している。

6.双葉町から大熊町、原発3km圏内へ
背景に原発がみえる。まだ、1.0ぐらい、ゴーグルで目を覆う必要はない。

ついに、3km圏内へと入る。

急に、線量計の音が激しくなり始める。
あっというまに30.0を超えた、汚染がまだら状になっているためか、線量計は数字が滅茶苦茶になってきた。小刻みに激しく音だけが、すさまじい。


第一原発の入り口である
防護服姿を、ここにきて始めてみる。異様だ。
周囲には、シェルター施設がおかれ、そこで作業員たちは寝泊まりしているようだ。
事故現場は、周囲からはまったく見えない。隠されるように作られていた原発。

北側へ回る、5号機の建屋が1部見えた。

南側へ回る。
4、5m程の崖。
このすぐ先が、原発事故の現場である。
そして、この崖の上の福島栽培漁業協会の施設が、完全にやられている。
10m以上の波がきている。

線量計は、針が振りきれている。

街中に誰もいない、暗闇の中、帰路につく。
作業帰宅の車であろうか、何台もいきかったが、街の灯りはついていない。
やがて、検問の赤いランプが見えてきた。コンビニの灯りが見える。

うがいをし、服をごみ袋に入れ、わたしたちは、福島駅へと向かった。

5km以内でも、線量計は高くて2.0や3.0ぐらいであった。10km内では、殆んど0.2~0.5ぐらいであった。まだら状にスポットがあるのであろう。
正確で緻密な測定をすべきだ。出来ることである。先進国日本が、あきれる。
いたずらな、円心上の線引きは、まったく意味ない。ひどいはなしだ。
海岸線に近い域のためか、あまりに、予想以上にひくかったので、緊張度合いが薄れていったのが実際である。
森林区域は、そうではあるまい。
ともあれ、面として一般化するのは、滅茶苦茶すぎる、多数の数m間隔の点で細かく測定すべきだ。

しかし、3km内にはいったときの線量計のすさまじさには、恐怖というより、見えない放射能の猛威に、わたしのようなアナログ人間は、ただ呆然とするだけである。かなりの被曝はうけていたであろう。

これをもって、なにかをしようとわたしはしているのではない、ただ、世界会議に参加する者として、実際の場に入らずして何も語りえないと、自らへの自らの関係として、圏内突入をした。
そこでは、ただ淡々と場をみていった。それしかしえない。
人がまったくいない街並みは、おもっていたほど不気味ではなかったが、ひたすら空虚であるが、言葉で語られうるものではない。

世界会議にあたって、わたしたちが作成したシートに場所住民の方たちからの、生の声を市が集めている。それを、ボランティアで英訳する方の協力もえている。ウェッブ上で、世界へ公開していく、ひとつのこさず、すべてを。

*マイクロ・シーベルト、ミリ・シーベルトなどの線量計のみが示す物質的現実は、現実性の感覚を欠いている、現実と現実性との関係が、日々の日常と反転している、恐るべき現実であるのに現実性が無いのだ。この汚染の現実に襲われた場所は、人が住めないのだ、現実に人が居ることができないのだから、現実性は無い、現実性は汚染場所から排除された、20kmの外部にある。この転倒に、人の存在は耐えられない。
浸水した水の場所に悠然とあそんでいた、白鳥やサギなどの鳥が、放射能を糞として撒き散らす、また土から放射能をすいあげた木々が、春には花粉でもって、放射能をまき散らす、そういうことがおきるのかどうかも分からない、現実性にリアリティが無い、しかし、汚染されている現実は確固として在る。
原発放射能は、人間の暮らしに、根元からの転倒をまきおこしている。
| 山本哲士 | 00:14 | - | trackbacks(0) | pookmark |

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TETSUJI YAMAMOTO

山本哲士【やまもと・てつじ】
文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター
政治社会学。ホスピタリティ環境学、企業環境学。
ホスピタリティビジネス設計、場所環境設計。
スイス国際学術財団F・EHESC ジェネラル・ディレクター。


Pedagogy Ph.D 1981-2008:Shinshu University, Professor of political sociology / environmental cultural sciences/hospitality environment
1980 Tokyo Metropolitan University、post-graduate of human sciences / doctoral course
1975 Studies abroad to Mexico CIDOC(Centro Intercultural de Documentacion)
1986 Director of "IICHIKO"quarterly magazine
1990 General Director of EHESC
2000 General Director of F・EHESC(Geneve)

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