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ラグビー・ワールドカップの感動と興奮
JUGEMテーマ:スポーツ

サモア、スコットランド戦に、興奮した、すごい試合だった、サモア優勢の前半、これでいけば、日本の決勝トーナメント進出が可能になるかもしれないと、他国の試合ながら、期待と興奮でみつづけたあまりにすごい試合であった。スコットランドの試合運び上手の大人の戦略が後半であった、ただ肉体でぶつかるサモアは、ペナルティを犯しつづけ、殴り合いまでおきたが、じりじりとスコットランドに攻められ追い抜かれはなされていく、そしてトライ、これでもうだめかとおもうも、最後、サモアも意地をみせ5トライ目、3点差までおしかえしたが、もはや残り2分、終わってしまった。後に、わかったことだが、サモアに日本が勝った時、サモアの選手がスコットランドに絶対勝ってやるから、日本がベスト8へ行け、と言ったらしい。日本ラグビーへの共感と敬意が他国にもうまれていたのだ。試合後、泣きくずれていたサモア選手がいた。サモアとしても、日本に負けたがスコットランドには勝ったという誇りをもちたかったのだろう。
日本のベスト8進出はとだえた。

こうした、他の試合に興奮しえるのも、日本チームのしぶい戦いが、世界をゆるがせたからだ。
いうまでもない、あの、日本の南アとの初戦の残り35秒の、あまりに劇的な勝利にはじまったラグビー・ワールドカップ、前評判をしのぐすごい試合をみせてくれた、たちあがって、TVにしがみついた35秒であったが、世界中をも感動させた。これぞ、ラグビー精神のもっとも劇的な、試合であった。ワールドカップに出場してもぼろぼろの負けにあけくれていた日本が、生まれかわった、世界に通用する水準をしるした日になった。
ジュネーブでTVを観ていても、ジャポネの語が乱発されている。
つづくスコットランド戦、前半をしのいだが、後半ぼろぼろとなっても、それは疲労でしかないと感じさせる、案の定、3戦でサモアをよせつけなかったが、リーチ曰く、体力は限界ぎりぎりであったと、4トライのボーナスをねらわず、ブーイングのなか勝ちに徹した。
おそらく、4戦目、勝つであろうとおもうが、勝ち点1点差で、とどかない結果になろう、4トライのそこまではこの際いってほしい。
USA戦とスコットランド戦とが入れ替わっていたなら、ベスト8進出は可能であったろうと思うのも、その後のスコットランドの戦いをみていて感じた。そして、目が覚めた南アのすさまじいパワーのその後の勝利、よくも勝てたものだとおもうが、低い姿勢のスクラムで南アをおしまくっていた日本である。

それにしても、肉弾戦の凄いラグビー、血がながれてもぬぐおうとしない、トンプソンなどはいつも血をながしている。脳しんとうはおこすは、サッカーの比ではないことが、あらためて示された戦いの数々であった。小柄な田中は、死ぬかもしれないからと家族にいいのこしたという、はじきとばされてもタックルに躊躇がない。2人がかりでの戦略的な徹底したタックルが、南アやサモアに通用した。

ニュージーランドのハカは、文化だ、それに対抗するウェールズの半円の構えもおもしろい。
ここまできたなら、日本も何か奇抜な演出をしてほしいと思う。

2019年、ワールドカップ、日本開催は、翌年のオリンピック以上にもりあがると期待できる興奮が確実に待っている。
それにしても、監督によって、これほどのチームに成長しえる、プロはやはり監督+コーチ次第だということを、これほどはっきりとみせたものはない。そして、やはりファンは、強いチームを望む、日本中がわいた。にわかファンであれ、いいものはいい。
五郎丸スタイルは、イチロースタイルとならんで、世界で注目されていこう。

さがりながら、攻める、ラグビーの面白さとダイナミックさから、ものごとへの取り組み方の姿勢として学ぶものがある。タックル等、おそろしくとても自分がなせるものではないが、外在的に観ていても実におもしろいワールドカップレベルだ。
バレーボールも、男子がやっとがんばりはじめている。
女子バレー、女子サッカー、女子ソフトボールと、女子のひたすらの一途さが、男子にはっぱをかけてきている。
そんなとき、男のなかの男のラグビーが、新生した。
かつて、オールブラックスとの、あまりに悲惨な試合をみてから離れてしまったが、ラグビーをみたのはそれ以来のことだ。
混成チームであるのもいい。おむすびを何百個もとどけているという、支えのエピソードもいい。
興奮と感動をまきこしてくれた。
じっくりと4戦目を味わおう。 

4戦目は、USAからかなり研究されながらも、劣ることのない、しっかりしたジャパン・ウェイが、もう世界レベルであることをみせてくれた。だが、トライ数は、少ない、ここが、ベスト8に辿り着きえないもう一歩のところであろうが、日本チームはクリアしえていくであろう。
海外メディアからのインタビューに、声を詰まらせ泣いていた五郎丸、「仲間が・・・」といったままもう声にならなかったが、それがまた世界に感動をもたらした。キック、世界一になった、すごいことだ。

日本はもういないが、決勝トーナメントを愉しもう。わたしは、ニュージーランド応援だ。JUGEM

| 山本哲士 | 08:24 | - | trackbacks(0) | pookmark |
浅田真央、その純真さと偉大さ

 JUGEMテーマ:スポーツ

浅田真央の「笑顔」「スマイル」、それがみたい、みれればそれでいい、ということにおいて、何がこちらがわと真央自身におきているのだろうか?
超絶した彼女が、世界で感動をもたらしているのはなぜなのだろうか?
そうした問い自体さえ、無意味にさせていく力とはいったいなんであるのか。
くりかえしながれる、あのフリーの演技は、みればみるほど圧巻となった深みをわたしたちにあたえつづけていくのは、どうしてなのか。
真央自身が、自らをふりかえりはじめている。そして、この4年間の苦闘の日々の実際が、すこしづつはっきりと語られはじめている。昨日のフジTVの真央特集は、真央自身が自らの映像をみながら、語った貴重なものであった。
人は、現実に直面した時、そこに少しづつ、おもいのままにならない実際に、折り合いをつけて妥協をしていく、つまり不可能さに自覚と認識の根拠をさがし自己制限して、およそ、自分自身の限界へそれをなっとくさせていくものだが、真央は逆である。徹底して、三回転ジャンプ、そしてトリプルアクセスに挑戦していくことを放置も封印もしなかった。だれもなしえない閾への挑戦をやめなかった。
実際の大会においての成功率が、半々である、そこにおりあいをつけなかった。佐藤コーチも、一度たりとも封印等しなかった、無理だとおもわれたとき、とばなかったにすぎない、練習は一度たりとも回避等していないと述べていた。泣きながら練習しつづけたときもあったという。ジャンプで、流れがとまりがちなそこに、流れという連続の優雅さを形成していったのだ。
人が「純粋」であるということは、ふりかかってくる現実の規制関係をそこに加味しないということだ。フィギュアであれば、審査員たちの採点基準である。キムヨナは、そこを読んで、自分のベストの構成をつくった。それをつくりえることも、たいへんな能力であるが、真央はそこに計算をいれない、自分が挑戦している構成をひたすら完成させていく。失敗のリスクを回避しない。自分が演じられる最高度のものを、おりこむだけだ。それが、観るファンをひやひやさせるが、なされえたとき、こちらにどっと感動がもたらされる。
人は、社会関係や規制関係をうけて生きていく。自分がなしえないことを、知っていく。だが、真央は、それをしなかった。ただ、その一点である。だから、できなかったとき、スケートをやめたいと思った。トリプルアクセルをしないで、高得点の構成をなしうる力能があること、それは実際でさえ、証された。しかし、真央は、トリプルアクセルを回避する道を、すこしもやめなかった。依怙地、頑固、という性格をスケートでは、つらぬいた。
金メダルをめざしたのは、それが目的ではなく、そこに自分の完成度が実現されるからだ。だから、バンクーバーで、銀メダルをとっても演技が自分に完璧でなかったため、悔し涙をながした。ソチでは、メダルを取れなくても,フリーで完璧であったことに、自分で納得していた。ショートで失敗し、とりかえしがつかなくなって、メダルをのがした、その悔しさがあっても、それ以上に、自分がめざしたものをやりぬいたことを優先させている。
それを、わたしは、この子はすごい人だと称している。
それを、純粋さの貫徹、純真さの偉大さとたたえている。
それは、普通の人がなそうとしてもなしえないことだ。なそうとすると、ただ愚鈍になっていく。だが、真央による追求は、愚鈍さにならない、ただただ純粋なのだ。おとなびてきてはいるが、子どもの純真さのままの言動を、しっかりものとしてつらぬいている。
他者からの雑音や非難などにゆれうごかない。大人になれなどということは、無意味である。
純粋は、形而上学的にしかなりたたないことを、真央は実際において、ながいスケート人生の中で、ひたすらつらぬいた。人は失敗するものだ、と一般知を自分へむけて体験的に知っていても、それを制約条件にはいれていない、まったく別次元で動いていく。凄まじい、あくなき練習の努力。
ショートでは、新しい曲に挑戦すべきであって、過去の曲のくりかえしをすべきではなかった、また、基礎からのやりなおしなどすべきではなかった、真央はただ新たな挑戦へ新たな地平へと道をひらいていくひとであるべきであった、といってみてももうはじまらない。素直にローリーの提案のノクターンをうけいれ、素直に佐藤コーチの指導をうけいれた。タラソワの飛躍への提起に、見事にこたえていった。ラフマニノフに打ち勝った。
もう、身体成長の変化も、さほどのことではない閾へはいっている、あと4年、真央が真央である可能性が、真に開花するときになるのかもしれない。だが、体力との戦いが、そこにはまちうけていこうが、なにかもう自分との戦い以上のなにかが、そこにはあるようにおもわれる。
世界選手権では、完璧さが達成されるかもしれないが、そこから真央の挑戦が、またはじまることを、ファンは待ち望んでいる。女王らしく、登場していくのを。
毎回の大会はしばしやすんで、それはもう回避ではないのだから、円熟した演技をみせてほしい、とファンは願う。
| 山本哲士 | 00:53 | - | trackbacks(0) | pookmark |
浅田真央、ソチの涙、そして純真な笑顔:偉大なる真央

 JUGEMテーマ:スポーツ

あれから、4年。
真央は、またも涙した。
しかし、それはもう無念の涙ではない、自己にとって、最悪のショートとベストのフリーとの、その両極にひきさかれた、自分の非自己(おさえきれない感情の表出)と自己とのおりあいへの涙であり、そのあとの自分自身へもどってのさわやかな笑顔であった。
はりさけんばかりの、悲しさの顔の歪みをじっとこらえきって、息をのみこんで、すっと真の純粋な笑顔にもどった。この一瞬のきりかえもすごい。
観ているこちらにも、どっと涙があふれでる。
演技の迫力に、うちふるえ、めがにじんではくるが、ぐいぐいとそのジャンプの成功に、ひきこまれていく、ステップのときには、もう、この子はほんとに、ただただひたすらすごいという感慨がわきだしてくる。ロシア放送で師タラソワは、フィギュアを観てはじめて泣いたとのべ、天使が舞っているといったが、ほんとにそうだ。おそらく、日本中の半分が、そして世界が、感動にふるえていたであろう。もう、オリンピックの順位がどうのではない、その枠をとびだして、ただその固有の舞いに、氷をけるちからにふるえていた。こんな演技は、他の選手がなしえない、およびえないものだ。タラソワは、スパシーバ、ありがとう、真央ほんとにありがとう、と感謝をのべ、そして師らしく、己に打ち勝った真央を讃えていた。
だが、現実へもどる、点数がつけられる、それはしかし150点をこえるものではなかった、既存の点数規準等をはみだしてしまう<もの>、その演技は愚かな要素平均化された規則規準点数ではつかみえないものだ。そして、だされた点数への賞賛と溜め息、メダルにはとどきえないのが、想定できるからだ。無難な美演技をまとめあげていく後続の、その水準からはるかにとびだしている真央の表現と技、迫真の美技は、世界のだれもが知っている。6種類の3回転、8回のジャンプ、だれひとりなしえない、それが採点不可能の閾に疎外されて、宙づりにされる。もう、そんなものどうでもいい。前日の、信じがたい失敗に、最悪の局面にたたされた、そのとき、もうメダルへの絶望が、バンクーバーからひきずっていた規制が、とんでしまった。できるにきまっていることが、なされえなかった、その呪縛を、「オリンピックには魔物がいる」と一般にいわれる、そんな魔物さえ絶望、絶句するようなできばえになってしまった。そのとき、こちらは、あれやこれやの推測の根拠さがしで、自分をなぐさめる言葉を自分へはきちらしながら、ああ、という嘆息にふけるしかない一日がすぎていく。
日本中のあちこちが、まず、ショートで泣いた。フリーを観ようと最終電車にのるべく走らせたタクシーのなかで、今朝の練習がうまくいっていないというニュースが流れたとき、運ちゃんは、昨日は泣きじゃくりましたよ、とつぶやいていた。「今日はほんとにどうなるんでしょうね」、とだれもが、最悪と最善の両極を予想しながら、定まらない情感にういている、24時間であった。
そのとき、真央は、宿舎で、自分の幼いときのビデオや演技をみながら、考えて考えて考えていた、とふりかえっている。おそれと不安と,戦っていた。
トリプルアクセルを封印してしまえば、かつて我慢してそうしたように、メダルは確実であろうが、金にはならない、しかしながらその金メダルというより、幼く11歳にして3Aを飛べてしまったことから、最善と最悪をかかえこんでしまった真央は、ただ一途に、挑戦へのあくなき戦いを自己へ課してきた。休養すればいいのに、それどころか基礎から見直すなどの逆向を課し、かつてないどん底状態へおちいりながら、飛躍へむけてひたすら錬磨してきた。「完璧」ということがほとんどありえない閾への挑戦だ。かつて、伊藤みどりがなした3Aの遺産をたやさないためにも、と誰もなし得ないことをしつづけてきた。ライバルのキムヨナも3Aに挑戦はしたがなしえないと、滑りをきりかえた、そのドキュメント映像は跳べないで転がるキムヨナの苦痛を描いていた。とてつもないことなのだ。
だが、もう20歳をこえたそこには、かつての楽しいから跳ぶという「快」はない、「苦」が先行する身体の成長が不可避にもたらす自然の重力との人為的な戦いになってしまった。そのなかにダイナミズムと美との相反を共存させる、不可能さへの挑みである。
それがもたらす乱調と完成との戦いが、ソチへそのままもちこまれた。
フリーで、真央はひるまなかった。
最悪の失敗をしても、翌日、最善の閾へ、真央はとびだした。
それを観た時、もう選手権やオリンピックなどの、測定・判定の評価枠に、真央はいない、ただ<一>の存在表出しかそこにないのが、見えてきた。審査員の規準になど、その演技はもはやはまらない。なにが、不足点だ、冗談ではない、分節化された規定測定の滑稽さだけが、非情に作用する、そんなものはもうどうでもいいという閾へ、真央は舞い降りたのだ。バンクーバーでは、まだ点数の公平・不公平の枠内にあったが、もうソチでは、無関係の閾へとびだした。グループ別の規制がかかってしまうなど、審査員が演技自体をもう観れない、そういう閾へ真央は舞ったのだ。
一方で、日本スポーツ界に巣くう下品な下卑た政治崩れの元首相から、名無しの自分が自分であることが出来ない事が自分だと転倒している2チャンネルのゴミ糞から、亡国の言動が吐き気を吹き出そうと(必然の負の作用ではない、ただの汚物・腐敗物、卓越さからのおちこぼれである)、多くのひとたちが、素直に感動する世界に、真央は雄々しく美しくラフマニノフとともに舞った。美は、揺れる自由の閾を超克する!
高橋も羽生も、泣きながら会場で応援していた。世界のフィギャアのプロたちも感動していた。
真央は言う、ジャンプひとつひとつに、自分が世話になった人たちへの感謝をこめて跳んだと、これは母に、これは父に、これは姉の舞に、これは佐藤コーチに・・・・また、泣いてしまうではないか、繰り返される映像を見るたびに、その深さがじんじんと響いてくる。ソチで、至上の美しき感動として、それは永遠に残っていこう。
バンクーバーのあの悔し涙は、ソチで「うれし涙」に変わったと、真央は言う、自分がなそうとしていた理想を実現しえたからだ、と。ひとえに己になっとくいける閾へたどりついたのだ。
「偉大なる真央」、それは歴史上にのこる美の遺産になろう。
プルシェンコの4回転は、男子フィギュアの歴史を変えたが、真央の超絶は、歴史を変えてはいくまい、ただ到達不可能な閾へ孤高にそびえ立つ。
わたしのごとき老人さえ、若き真央の偉大さには、こころから敬意をおぼえ、賞賛する。天使は神でも人でもない、その間にあって、神と人を祝福する。多くの人たちが、真央に感謝のこころをのべ、勇気をもらっている、と讃えるのだ。わたしは、ただただ、真央の偉大さに敬服する。このような究極の存在が、現代日本に出現したことを素直に驚く。驚きは、自覚を覚醒させる。小さな子どもも、男女も、老人も。
だれを、なにを「偉大」とみなすかは、その人の社会的な布置を表象する。
真央を偉大とすることは、純粋さ、純真さ、そして不可能さへ挑戦する感動、を讃える布置だ。
真央は、挑戦し,戦いつづけた。その戦いは、自分自身の限界への戦いであり、他者との比較の戦いの水準をこえてしまった。
これから、真央の場所は、世界選手権をつきぬけて、新たな場所へとうつるのだろうが、もう採点という愚かな規準規範世界におさまらない、それは、天使の羽をつけて自在に愉しく舞う、享楽の閾へとはいっていくであろう。
なによりも、真央自身のすがすがしい顔、笑顔、もうそれでいい。
閉会式で無邪気にはしゃぐ真央にもどった。それでいいのだ。
だが姉の舞は言う、帰ってきたなら、もう泣いていいんだよ、我慢してこらえなくていいんだよと、真央は姉の胸のなかで、ひとしれずなきじゃくるだろう、ソチでたえていたものをはきだして・・・・そして、わたしたちの前では、あの純真な真央スマイルをみせてくれる。。。。
偉大なる真央、それは永遠に語り継がれていこう。
(内戦状態になっているウクライナへ、黙祷をささげた金メダルのウクライナ選手たち、また競技を辞退して帰国した選手、若き偉大なるgoodな存在に、わたしは敬意をおぼえる、それは政治表象ではない、人としての尊厳ある行為だ、非難、禁止すべきことではない。)
| 山本哲士 | 21:55 | - | trackbacks(0) | pookmark |
浅田真央、キムヨナ、ロシェット:3つの哀しいメダルの涙
JUGEMテーマ:スポーツ

 

いやはやなんというドラマ。

感動というものをこえてしまうものがあるのだ、

という新しい体験を観る者はさせられた。


完璧な演技をしきったキムヨナは、

演技が終わったとやりきった安堵からか涙した。

緊張がほぐれ、気強い彼女がはじめて見せた涙ではないのだろうか。

やりえた歓喜ではない、苦しさから解き放たれた終わった涙にみえた。


浅田真央は、自分の演技ができなかったという悔し涙で息苦しそうに

しゃくりあげながらこれも人前ではみせなかった大粒の声もでない涙で、

長く短い4分間を語っていた。

だがミスしても205点、銀メダル、しかもそんなものに喜びなどみせず、

負けたというより、演技しきれなかったということへの悔し涙だ。

なんというすごい子だろう。


そして、ロシェットは、数日前母を失った悲しみの中からの銅に

表彰台で涙していた。


キムヨナの喜びにもどこか前にむいたものはない、

夢をかなえてしまった果たし得たという空無のような歓びの涙。


この3つの異質な涙は、超絶した次元での異なる涙、

歓喜あふれた涙はどこにもない、

なんという驚くべき次元を彼女たちはつくりだしたものか。

極限はこういうようになるのだろう、

といういままでみたことのない地平である。


超絶した二人を、しかしどうみても審査員は的確につかみえていない。

キムヨナの完璧さに異様な最高点をつけ、

浅田のトリプルアクセス成功とステップに点を付けきれないでいる結果、

20点ものへだたりがそれを表徴している。


プルシェンコが怒ったように、

審査する奴らは選手の演技をまた苦闘をわかっちゃいない、

どれほどジャンプがたいへんなものか自らがなしえないから

まったく理解しえないのだ。

キムヨナのぶっとび点数に比してミスしたとはいえ、

史上初3つのトリプルアクセスを決め、

ジャンプとジャンプのつなぎを演じきった浅田への点がひくすぎる。

会場からブーイングがおきた。


審査員たちの水準より、はるか先へ二人はいってしまったのだ。

真央キムヨナに負けたから悔しいのではない、

自分がせいいっぱいやりながらミスしたことが純粋に悔しい。

 

だが、この勝利と敗北には、決定的な違いがある。


キムヨナはもう「宇宙人」と称されたような最高頂点へ到達してしまった。

それは、オーサーコーチがしくんだ、金メダルをとるための

作戦+政治の組み立てだ。

こうすれば勝てるという審査員の評点の仕方を完全理解し、

キムヨナがそれをなしうるように徹底して訓練する。

ルールに従わせる完成の仕方、キムヨナゆえなしえた。

だがこれは、なし終えて終わりだ。

北米コーチたちの市場は開かれたが、

キムヨナには、もう選手としての先は無い、

あるのはプロとして生きていくか指導者として自己形成するかであって、

演技選手としては完全に自己完成させてしまった、

彼女はあまりに美しく終わったのだ。


(妖艶な演技と称された、その表出の中には

可憐な19歳の少女の苦しみがある、それが表彰台の涙であった

(それを見せてしまったゆえ舌をだし、

まだ演じきる自分へもどっていた))。


荒川が金メダルをとるべくリスクを回避して勝利の完璧さを実現させ、

選手をおわったように。


だが、浅田は、金メダルをとるべく危険をさけるという仕方をとらなかった。

たとえミスしようと3つのトリプルアクセルにとりくみ、

それをきめたことによって、フィギュア界にあらたな世界をひらいた。

ルールがとらえきれない閾に挑戦し、それを開いた。

そして自らは、それを入れて、

ジャンプか演技表現かという

現在の不毛な対立の次元をこえる世界を完成させていく途上にはいっている。


そしてソチではそれを達成する結果としての金メダルをとるであろう。

かつて、羽生名人が言っていたこと、将棋を闘っていて、

こう打てば確実に勝つという経験上の局面にくることがある、

そのときそれを打って確実に勝つ道を選んだなら、進歩は無い、

それで終わっていく、自分はあえてその手とは違う未知の一手をうって、

新たな勝負の閾をひらくことを選択し続けていくと。

真央は、そういう道を選んだ。すごい人だ。


日本中を感動させ、また感動を越えた次元があることを感じさせる、

あまりに超絶している真央に、だれしもが感銘するのは、なぜなのか? 

他者ではない、自分の自分に対する対決を果敢にしつづけるということが、

だれしにもそれなりにある、そこへ響く純粋なものがあるからであろう。


19歳の少女に、若者や同性だけでない、

おっさんやおじいさんまでもが感銘してしまう。

彼女は他者を見ていない、自分を自分として前へ前へとずらしていく、

進歩への挑戦しかとりくんでいないこと自体が、他者へ響くものをうみだす。


安藤美姫の限界は、他者への感謝とか他者への喜びとかという疎外させた

ある種のそらぞらしさにとどまっているところにある

(理想自我を他者からの視線として疎外し、

自己満足からの脱却と設定する自我葛藤は、

他者への感謝という形でしか安定をとりえない、

かわいそうな疎外であるのだが)、

それでしか、苦しむ自己を開放しえなかったからだが彼女なりにやりえた

(それはまたそれとして大衆受けする仕方であるが)。


しかしそれは自己を自己としてやりぬいた

浅田キムヨナの超絶的な次元とあまりにも違いすぎる。

ロシェットにおける

母の死という死の超絶性からの悲しみにもたどりつきえない。

すでに次のステップへとふみだしている新生、
浅田真央

たいへんな存在が現れた。

毎日真央の足をマッサージしつづけ育ててくれた母に

感謝しながら涙する彼女、

もう、無邪気にスケートをしている女の子はいない。

ひきしまってきたその顔は、次の金をめざすというより、

金を不可避な結果としてもたらす次元での

フィギュアの深化と飛躍へと向いている。


日本人1億人が、無邪気な、明るい笑顔のスケート一筋の少女が

挑戦したひとつの極限的な闘いを見、なにかを感じるのも、

そこに自分をみるような、そういう存在表象を彼女は純粋性という

これまたありえない存在行為をなしえているからだ。

世界も真央に、キムヨナ以上のものを感じ見て、改めて驚愕している。

真央を乗り越えるべく、キムヨナは苦闘し、完成、実現した

(理想自我を達成するというほとんどありえないことを実行した)。

だが、真央は、キムヨナを乗り越えようとはしていない

(たとえメディアからそういわされざるをえないことから

言っていたにしても、内的には彼女には非自己としての自分を追求し

つづけるという、理想自我としてでない自己技術があるのみのすごさだ)、

自分に課せられた限界を自らで越えていこうとしている、

つねに自分が自分から挑戦的にずれつづけて飛躍していく、

衝激的な感動だ。


キムヨナにはキリスト教的な欲望・羨望の三角形があったが、

真央にはそれがない。

それが、オリンピックという場では負ける結果をもたらしはしたが、

真央は終わっていない、西欧なるものを越えて深化し続ける。

偉大なる二人の少女に、世界は釘づけになった。

フィギュア日本選手は男女全員が入賞した、

それにくらべて審査員にひとりも日本人がいないというなさけなさ、

スポーツ指導者・管理者たちの遅れが露呈した今回のオリンピックである。

スポーツほど、政治的でかつ経済的な効果を波及させるものは無い

ということを日本のスポーツ指導者・管理者たちは

まだまったくわかっていない。

苦闘し苦しむのは選手たちだ。


純粋なあまりにも純粋な浅田真央の闘いの敗北、
米露の対立政治をこえた敗北、
だが、この純粋なるがゆえの敗北から、新たな時代が開かれていく。

| 山本哲士 | 02:43 | - | trackbacks(0) | pookmark |

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TETSUJI YAMAMOTO

山本哲士【やまもと・てつじ】
文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター
政治社会学。ホスピタリティ環境学、企業環境学。
ホスピタリティビジネス設計、場所環境設計。
スイス国際学術財団F・EHESC ジェネラル・ディレクター。


Pedagogy Ph.D 1981-2008:Shinshu University, Professor of political sociology / environmental cultural sciences/hospitality environment
1980 Tokyo Metropolitan University、post-graduate of human sciences / doctoral course
1975 Studies abroad to Mexico CIDOC(Centro Intercultural de Documentacion)
1986 Director of "IICHIKO"quarterly magazine
1990 General Director of EHESC
2000 General Director of F・EHESC(Geneve)

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